教育保健理論の枠組みにおける健康教育論 −意識変革と行動変容の融合−

1.はじめに
 教育保健の柱の一つに子どもの保健認識や実践力を育成する仕事がある。筆者は大学において,教員養成に関わる専門科目のほか、一般教養的科目群において健康教育の授業も担当している。授業名は「健康な生活と健康科学」と「フィジカル・フィットネス」である。前者の授業では、大学生活ならびに生涯を通じて、心身ともに健康な生活を送るための科学的認識と主体的な実践能力を身につけることを目標として示している。後者では、生涯に通じる自己健康管理能力の基礎を身につけることを目標としている。

 ここでは、これら二つの健康教育の成果の一部を手掛かりにして、表題に迫ることとしたい。

2.「特定の疾病にかかる可能性の自覚」を高める
 スライド1「ここに男女がいます。2人は恋人どうしで性行為も経験しています。」
 スライド2「もし2人にそれぞれ過去あるいは現在に、性行為を経験した人が3人ずついるとすると、このような4対4の関係になります。」
 スライド3「同じように、またその3人に性行為を経験した人が3人ずついるとすると、このような1313の関係になります。」
 スライド4「同じように、これをあと2回繰り返すと、その関係は109109になります。そして、もしこの中にエイズウイルスに感染している人がいたとしたら、この2人は無防備ではいけないのです。」
 スライド5「性行為によるエイズウイルスの感染を防ぐことはそれほど難しいことではありません。次の3つのいずれかをあなたが選択すればよいのです。1)No Sex 2)Steady Sex3)Safe Sex
 スライド1から5は「健康な生活と健康科学」の授業のテーマの一つである「現代社会と感染症」の中で用いている教材である1)。これはFishbeinの「価値−期待モデル」に基づく教材である。Fishbeinは、健康課題に対する予防行動が取ることができるかどうかは、「特定の疾病にかかった場合の重大さの自覚」(価値)と「特定の疾病にかかる可能性の自覚」(期待)の掛け合わせであるとしている。健康教育において「特定の疾病にかかった場合の重大さの自覚」(価値)を高める教材は比較的多い。もちろんその自覚を高めることは重要であるが、それに加えて「特定の疾病にかかる可能性の自覚」(期待)を高める教材も必要である。ここで取り上げているエイズについて、学生たちは「エイズになると大変だ」「エイズは怖い」といった漠然としたイメージを持っているに過ぎないことも少なくない。もちろん高校までの保健学習や総合的な学習において、エイズに関して十分学習してきた者もおり、知識を持っている者もかなりいる。しかしながら、その者たちでも、「エイズな身近な問題だ」あるいは「エイズは自分に関係ある問題だ」といった意識は「エイズは大変な病気だ」「エイズは重大な問題だ」という意識ほどは高くない。表1は、昨年度の授業において、この教材を学ぶ前の学生の意識を調べたものである。 

表1 エイズに関する意識

 

(価値に関する質問)

 

  エイズは大変な病気だと思う

3.94

  エイズは重大な問題だと思う

3.89

(期待に関する質問)

 

  エイズは身近な問題だと思う

3.08

  エイズは自分にも関係ある問題だと思う

2.88

     とてもそう思うを4点,ややそう思うを3点,ややそう思わないを2点,まったくそう思わないを1点とした平均(135名)

学生たちは「エイズは大変な病気だ」「エイズは重大な問題だ」という重大さの自覚(価値)については「とてもそう思っている」が、「エイズは身近な問題だ」「エイズは自分にも関係ある問題だ」という可能性の自覚(期待)については、「ややそう思う」にとどまっている。
 表2は、この教材を学ぶ前と学んだ後の学生の意識の変化を示したものである。

表2 エイズに関する意識の変化

 

 

 

 

 

 

p

(価値に関する質問)

 

 

 

 

  エイズは大変な病気だと思う

3.94

3.87

0.032

  エイズは重大な問題だと思う

3.89

3.87

0.619

(期待に関する質問)

 

 

 

 

  エイズは身近な問題だと思う

3.08

3.61

<0.001

  エイズは自分にも関係ある問題だと思う

2.88

3.47

<0.001

     とてもそう思うを4点,ややそう思うを3点,ややそう思わないを2点,まったくそう思わないを1点とした平均(135名),前後差はt検定による。

この教材によって、学生たちは、「エイズは身近な問題だと思う」「エイズは自分にも関係ある問題だと思う」という期待について、「とてもそう」という水準ではないものの変化した。いずれも、「とてもそう思う」と「ややそう思う」の中間である。また授業後のリアクションペーパーでは、この教材がとても印象的であったことを多くの学生が書き寄せている。エイズは重大だ、エイズは大変だという自覚をもつ学生は多いが、エイズを身近な問題、自分にも関係ある問題ととらえられずに、自ら知識を獲得しようとしなかったり、エイズに興味や関心を寄せなかったり、そしてそれが適切な予防行動をとらなかったりするのではないかと考えられる。ただし、この教材で学んだ学生たちが適切な予防行動をとることができるかどうかは検証していない。今後の検討課題である。

3.自己効力感と行動の変容
 「フィジカル・フィットネス」の授業の概要は、「ストレッチング、ウォーキング、ストレッチポール・バランスボールによる各種身体運動を行い、柔軟性やバランスの向上、姿勢の調整、筋肉の引き締めをはかる。また個人と仲間との取り組みを通して、身体の基本的な機能の理解、リラックス方法の獲得、コミュニケーション能力の向上といった生涯に通じる自己健康管理能力の基礎を身につける。」である。それぞれの時間のメインワークとして行ったことは次のとおりである。
前期
1 ガイダンスと講義  
2 柔軟性と姿勢の評価
3 姿勢づくりと静的ストレッチング
4 静的ストレッチング
5 静的ストレッチングと基本的PNF (Proprioceptive Neuromuscular Facilitation) ストレッチング
6 基本的PNF ストレッチング
7 心拍計をつけてのウォーキング (有酸素運動とは何か)
8 心拍計をつけてのキャンパス内ウォーキング
9 キャンパス内の自由なウォーキング
10.基本的なPNF ストレッチングとストレッチ・ポールを用いたストレッチング
11.ストレッチ・ポールを用いたストレッチング
12.ストレッチ・ポールを用いたストレッチング
13バランス・ボールを用いた運動
14.柔軟性と姿勢の評価
15.前期まとめと自己評価
後期
16.姿勢づくりと静的ストレッチング
17.静的ストレッチングと基本的PNFストレッチング
18.バランス・ボールを用いた運動
19.バランス・ボールを用いた運動
2027.総合的な各種運動(これまで学んだ内容から)
28.柔軟性と姿勢の評価
29セルフ・マッサージの方法
30.まとめと講義
 さて、このような授業を受けることによって学生の運動への意識と行動はどのように変容したのか。この授業では、運動に対する自己効力感と運動行動について、受講前と受講後を比較することによる評価を試みている2)。表3は運動に対する自己効力感の平均を比較したものである。表4は、運動行動の平均を比較したものである。

    表3 運動に対する自己効力感の比較

      受講前              受講後        p

   2.15  (0.86)          3.06  (0.84)    <0.001

12項目からなる運動に対する自己効力感尺度(確実にできると思うを5点、ほとんどできないと思うを1点とする5 件法)。差はt検定による。(  )はSD              

 

 

 

 

    表4 運動行動の比較

      受講前              受講後        p

   2.21 (1.60)          3.12  (1.30)       <0.001

120分以上週3回以上の運動についての尺度(6か月以上続けているを5点、行っておらず6カ月以内にも行う計画もないを1点とする5件法)。差はt検定による。( )はSD

 

 

 

 

 その結果、運動に対する自己効力感は、受講前は「あまりできないと思う」水準であったが、受講後「まあまあできると思う」水準まで向上した。運動行動は、「120分以上週3回以上の運動を6カ月以内に始めようと考えている」から「120分以上週3回以上の運動1カ月以内に始めようと考えている」水準まで向上した。しかしながら、これは実際に運動行動を行っている水準ではなく自己効力感の高まりが運動行動を変容する可能性は示唆されたが、それが簡単ではないことも明らかにした。さらに、受講前に運動行動の水準が低いものは、この授業によって運動行動が向上したものの、受講前に運動行動の高かった者は変化がなかったたり、むしろ低下することも明らかとなり、大学でのこのような授業の効果性とともに限界性も明らかとなった。今後は、運動行動を変容させるためにどのような要因が必要であるのか、また授業の中でもどのような内容が効果に影響を与えているのかといった点を注目しながら実践を継続する予定である。

4.おわりに
 「健康な生活と健康科学」では、教材に健康科学に関する最新の情報を取り入れることに加えて、学生が自分の健康を他人任せにするのではなく、自分の問題として考えることができる情報を工夫して取り入れるようにしてきた。紹介した教材は、その一つであるが、この教材によって、学生の「エイズは身近な問題だ」あるいは「エイズは自分に関係ある問題だ」という意識は確かに変化している。先にも述べたように、この意識の変革が予防行動につながるのかどうか、またつながるようにするために何が必要であるかなど今後検討すべきことが少なくない。さらに、これまでの健康教育教材は「特定の疾病にかかった場合の重大さの自覚」を高めることを目指したものは多いが、「特定の疾病にかかる可能性の自覚」を高めるものは少ない。エイズに関するものだけではなく、他の内容での教材開発も進めていく必要がある。
 「フィジカル・フィットネス」では、自分のからだと対話しながら自らの身体認識を高めることに加えて、運動に対する自己効力感を高め、運動行動も変容させたいと考え実践を行ってきた。総じて学生のこの授業に対する評価は高く、先に述べた検討課題を意識しながら検証を継続することが必要である。


1)この教材は、高橋浩之著『健康教育への招待』大修館書店、19965859頁の資料を模して作成したものである。
2)評価の詳細については、植田誠治“Effects of the Physical Fitness Program on Exercise Self-Efficacy and Stage of Exercise Behavior in Female University Students”聖心女子大学論叢第114集、20106171頁を参照されたい。